2019年12月19日木曜日

かずたま入門 4 




前回に続いて「場」のお話を始めましょう
とはいっても、時間をのけて場を語ることは出来ませんから
「時間」のお話もしながら、進むことにします

前回は「場」の風味を味わうために季節感を織り交ぜながら話をすすめました
一年の季節感を表現するに四季の特性より、春夏秋冬に織りまぜながら
そこに「正十字型」を、あてはめてみました

つぎに

方位を場から抽出して、H場・東、C場・西、E場・南、F場・北とみたて、
一日の時刻も時間場として、
H場・6時、E場・12時、C場・18時、F場・24時として、
割りふりしました

そして

「正十字」のほか
「兆し」となるクロス十字
「極み」となるクロス十字

あわせて3つの十字形象で12の場があらわれました
これが東洋では十二支と名付けられています
これが規則正しく動くためには軸点となる、「時間」が存在します
そこに回転がおこるし、流れがはじまるわけです

時間が流れることは、場が存在することです
時間は時間だけが場の中心にあるばかりでなく、
場そのものの中にも時間が存在しているわけです、また、
そこに存在するモノとしての人間のなかにも、
物、心、命、それぞれ時間の存在があるわけです

時間と場とモノの「存在」をとおしての関係をお話しております

前回も、井桁の形をしている数理盤から話が広がりました
霊結晶は玉結晶として球体の存在ですが
球体のままでは認識に手こずりますから、数理表現には
方形としての数理盤(9つの升)として見つめるわけです
地図をみるとき球体を平面図でみつめるのと同様のことです

この数理盤の外側にくまなくひとまわり干支を置くと十二支となります

さらに9つのマス目の外側に、さらに一回り大きくマス目でくるむと
5x5の合計25マス目となります
この25のマス目から9つのマス目を引きますと
25-9=16数 となり
わが国では、これを天皇家の十六菊花の紋章として取り入れております

このように数理盤上、場を認識する場合、時刻や季節や方位などを当て
認識しています
そこに、時間を中心としたゆるやかな流れがあります、回転があるわけです

このとき

ゆるやかな時の流れは、ゆるやかな場の形成をしていきます
時の流れは一定に流れます、そこに場の形成は成るわけですが、
そこに現れる現象は、緩やかでもあり、過激でもある、
目にしている自然界です


時間にある場
毎年、12月は十二支で云う、「子・ネ」の月ですから、
一年の完了を形作る時間場でもあり、
来年としての新しい年の胎生が始まっている時間帯でもある

毎年、1月は西暦年では新年であり、旧暦ごよみでは、13月となる
まだ、前年でもあると同時に丑の月ですから、新しい年としての「兆し」が、
おこるときでもある

また、1月節に入るのも5日以降ですから、それまでは12月の風味も
現れる混ざり合った状態です、、、、ここをどうとらえるのか
と云う問題が時間認識する場合に、立ちはだかります

ここにあるのが、
「土用」としての存在です、季節に見立てると、
冬なのに春の始まり、、、、
春なのに夏の始まり、、、、、といった混在する時間世界です

1年の中には1月丑月、4月辰月、7月未月、10月戌月、といった具合に
月ごとに十二支がふられています
年にも、2021年は丑年といった具合に、辰年、未年、戌年とあります
波動を観ていく場合にも、丑波動、辰波動、未波動、戌波動など、回流して
くるわけですが、これもすべて変わり目としての「土星」のはたらきが
顕れてくる時間帯というわけです

これが季節感で云うところの【土用】にあたります
ここに陽数理、陰数理の兼ね合いが出てまいります


この「場」には、場としての特有のはたらきがあります
社長の顔、風貌となるとか、横綱には横綱としての風格があらわれてくる
これが場が人をとおしてあらわしてくる場の「味わい」というものです
同じモノでも、同じ料理でも、銀座にあるだけで、器が良ければ
美味しく思えてくる、、、、、場が器をとおして、場がモノをとおして、
あらわしてくるはたらきです


場にある時間
時間が認識できないときなど、どうするのか
このようなことはいくらでもあります
そのようなときに、場の働きより時間を捉えることもしました
そこにあるモノからの現象のとらえかたの、お話もしました

時間はモノの中心にあるだけではない、
場の中にも時間は存在するし、
場にあるモノのなかにも時間は存在するのです

この「場」の認識、「モノ」の認識に必要なものが、「言語」です
人は言語により場やモノを認識します
そこにあたえられるものが名称です
人の場合には、名前です、、、、言語がなくては認識することは不可能です

話を戻します

そこが水辺の場合、どのようにみつめるのか、、、、水辺は1数場です
そこが、役所であるなら、6数理のはたらきですから、
あなたはいま6数時間場にいるわけです
このようなモノの見方が瞬時にできるようにすること


言語にある時間と場
これは、場に在るだけでなく「名前」にもあります
人間は言語社会に存在するわけですから当然のことです
初詣に氷川神社にむかうなら、氷川神社と云う名前
大鳥神社なら大鳥神社という名称が、時間場となり
現象に影響を与えてきます

数理変換しますと

氷川神社~5画・3画・10画・8画 / 26画 / 8数理
大鳥神社~3画・11画・10画・8画 / 32画 / 5数理

となりますから、これが8数場、5数場として、環境に働きかけてきます
この環境を把握するにも、時間、場、言語をもってモノを認識する人類です
現象はうつろいやすく、周辺のモノにより、変転しやすいモノである
そのことを認識ください

数霊は数の計算をするんだと考えるのは、底の浅い考え方、
金銭勘定ばかりの日常が産みだす悪しき慣習です

数霊はモノのなかにも入り込むし、
形状の中にも入り込みます
名前の中にも入り込みますから、
いちがいに生年月日ばかりに、のめり込みますと、宿命感に囚われます

時間として
時間を見つめるとき、時間に秘められた12場を十字形象より
3種とすると、それを規則正しく回転させるために、また、
動かすために真ん中の軸心に【時間軸】を置くわけです

この時間軸を中心に、場としての3つの十字型を据え置く、、、、、
合わせて4つとなります

この4つ目のモノが、前後論としての存在【時間軸】でありますが、
時間軸が中心なのではない
そこに【今】としてある時間の1点が中心なのです

中心視座に時間軸を置き、まずは現象をみつめる
見つめてから、【今】という時間の一点をとらえるわけです

場として
場をみつめるときにも、単に「場」としてあるのではなく、
数理盤自体が立体空間としてのものだから、
そこに「位置」があるし、「序」があるし、そこにまた「場」がある
縦・横・奥行としてのものです、、、、そして、そこに4つめのものとして
「質」が、現れてきます

大変な事態といっても、日本にいて大変なのか、反対側のブラジルにいての
大変なのかという距離的なもの、、、「場」の問題があります

企業倒産したといっても、最高責任者の立場にある人なのか、
一般社員の立場なのかという、「序」の問題もあります

オリンピックの開催をみても、高地での競技なのか、低地における開催
なのかでは、結果がかわるわけで「位置」の問題もあらわれる

そしてそれらの3つの問題の中に、「質」としての問題が浮き出てきます
ここに破壊自体の問題のほかに、個別の質としての問題差が出てきます
4つ目の問題です
損失をこうむったといっても、100万なのか、1000万なのか、
100億なのか、数千億なのか、数量の問題とそれに対する個人の
受け取り方の差
稼ぎがない立場の人なのか、稼ぎがある人なのかによる、
その人の数量認識という、質の問題です

これを、数理盤より認識することができるようにしないとなりません
平面として何度見つめていても何もならない、かわらない
立体として観えてくる視野をもつことです

時間と場の関係は切り離すことが出来ません
場がないところにモノは存在できないし、
時間がない世界に場は存在できない

ブラックホールの存在をかたくなに信じ、
吸い込まれれば時間も場も何もかもなくなる、、、、
というけれど、緩やかな川の流れが滝つぼにのまれるように
時間場の方向性が変わるだけかも知れない

単なる、地球視点からだけの思考力、
概念としての、われわれ人類の宇宙観
行ったこともないわけですから、ここに何があったとしてもおかしはくない
まだ始まったばかりの科学観です


話を戻しましょう

時間
陰数理と陽数理という観方考え方がありますが、これは何なのか
どのように理解すればよいのか
働きを見つめてみましょう

体の中の病巣を考える場合、陰数理を見つめることがせまられます
また、陰数理よりさらに深い深層数理にまで入り込む場合も多々あります

表層と逆転する世界
モノを包括する時間を、陰陽一体化したモノと捉えると理解しやすい
と、思われます

パラレルと云う表現がありますが、どこでもかしこでも、
陰数理時間と陽数理時間が一対で、一体に同時並行進行している
ただ通常は陰数理は隠れているし、ひそんでいるモノです
これは男性、女性の別なく通常潜んでいるモノです
潜んでいるが存在しているモノです

これが「土星」と云う表現をした先ほどの時間帯には、表面化してきます
時間の向きが変わる、時間の方向性も変化してくる、
潜んでいた世界が顕れるわけです

その意味合いで、

・その年を観ていく場合、
・その月を観ていく場合、
・そのモノの生年波動を観ていく場合、
・そのモノの生月波動を観ていく場合、

これが姿を現してくるのが、「土星」としての、
暦でとらえるところの「土用」となる時間場です
ここにおいて、現象には今どちらが働いているのかを
とらえることが、問題となります

言語
個人の運命に多大な影響を与えるものとしては、家系を表す「姓」があります
「名」は、各人の運命としてのものであり、姓数を背負い運ぶところのモノ
よい名とは、姓の破局性を緩和できるもの、また、いかんなく姓数の潜在力を
発揮できるようにする名のことです


生年や生月にある破壊性、生年月日の合計数となる命数による、
破壊性が具体化するまえに、破局性を眠らせることができるのも、
「姓」であり兼ね合いとしての「名」の、はたらきです

平穏を維持するもの、破壊性が表面化してくる「さじ加減」をとるのも、
家系の「姓」を中心とした姓名の働きです
姓は「家系」そのものであり、そこにうまれた我々の生命です
名は「家系」のなかにおける位置取りを示します

そのことを理解したうえで姓名構成を見つめるわけです


具体的には、
姓名を観る上ではじめにすることは時間をみることです
生年月日、今という時間、を座標の中心に置く
これは鑑みる物事すべてにいえることです
そのうえで姓名を見つめること

・姓名において各字画数の構成がどうなっているのか
・姓名において各字画の単数がどうなっているのか
・姓名において合計画数がどうなっているのか
・姓名において合計画数を単数化するとどのようになるのか

まずここから、入らなくてはなりません、
そして、姓名構成に入り込む

・姓数と名数の対応はどうなっているのか
・姓数の頭字と、名数の頭字はどうなるのか
・姓数と名数の内側の構成はどうなっているのか
・姓数と名数の外側の構成はどうなのか

そして自分の内部全般との関係をみつめるわけです

・生年と姓名の関係
・生月と姓名との関係
・生日と姓名との関係
・命数と姓名との関係

そして総合的に兼ね合いを吟味する

・生年と生月の関係
・生年と命数の関係
・生年と姓数の関係
・生年と名数の関係

同じことを繰り返していく、、、

・生月と命数の関係
・生月と姓数の関係
・生月と名数の関係

これを相互に鑑みていく
そののちに

・生年と生月と生日と命数と姓名の関係を、

包括的に見つめる
そのうえで

・社会に対応するなら社会の問題と、
・会社の問題なら会社の問題と、
・結婚なら結婚相手と、
・家族問題なら家族と、

相互に見つめていくわけですが、

経営者になると、経営者独特の問題を孕んでくる
企業として大きくなればなおさらのことです

・いつ始めるのか
・どこではじめるのか
・業種は
・業種とわが国の時代層の関係は
・資本金は
・取引先は
・海外取引ならどこの国と
・いつからの取引
・バイヤーを通してなのか
・バイヤーとはいつからの関係
・生産拠点は
・関係筋ルートは
・・・・
・・・・


などなど難しい問題もあるけれど
難しさも楽しく思えるなら
その仕事はあなたに向いている
まずは第一関門は突破しています

以上、



あとがき
 良薬もさじ加減ですから「さじ加減」というのは難しい
 命名しても、改名しても、吉化しきれないモノと領域
 そのとき、どうするのかの、さじ加減がある
 不幸であれば嘆き悲しむのに、平穏が続けば満足しない存在
 、、、人間です