2018年12月25日火曜日

かずたま入門 1




2018年も、残りわずかになりました
しばらくの充電期間もいちおうの完了を迎え、
あらためて皆様とともに年度明けより進んでまいりたいと存じます

2019年は、以前にもお話しましたように、時代の節目としての時間帯となります
近年まれにみる時間帯として諸問題を抱えての時代環境と成ります
気を許すことなくお進みください


尚、「当ブログ内容」はどこまでも時代の諸事情・時代環境にまどわされることなく
基礎内容の拡充に努めていきたいと存じます



数霊
数霊と書きまして「カズタマ」と読みならわしておりますが、
そのへんのことがらから、少しお話しいたします

「数」という表現をすると、何かを数える、、、算段する、、、
あまり良いイメージが湧いてこないのは時代層にも関係するのでしょうか
計算する場合に使うところから、物質の数量をあらわすものとして
とらえられているようです

数霊の場合、数量計算はするわけですが、その内容も方向性も
現代に至っては特異です
あくまでも時間概念や、命の質を問う場合などに、もちいる数観念です

また

「霊」と書いてタマと読みあらわしております
「命」をあらわした日本古来からの言葉表現です
   一神教とはことなる、ヤオヨロズに通じていく思想に共通な観念を感じます
   神表現や神が信仰対象となる時代以前にあった表現です


時間
その時代を考える場合、また時間をとらえる場合、世界共通な表現として、
西暦表現が主流になります
この西暦であらわすところの西暦年号を単数化することで、たとえば、
2018年の場合ならば、2+0+1+8=11=2数となります
この単数化表現により占術への応用をはかってまいります

これに対して
寺社で頒布されている暦や、九星暦などでは
2018年は「9紫・キュウシ」という表現を取って、色付けて
暦表現しております

専門的に観ていきますと、西暦を単数化した「2数」に対して「9数」ですから
2+9=11  となる関係にあります

この【11数を、万物を産み出す母体の数】として尊び、
言葉表現としては、「ムスビ」、「結び」、「産霊」、などと表現されております

が、これもまた現代では
分裂するところから、また、二股に分かれる数などとして
忌み嫌われているフシがあります

赤子が母体から産み落とされることは不幸なことなのでしょうか

同様に西暦2019年の場合なら
単数化すると 3数 となり
寺社暦では「8白・ハッパク」となりますから
3+8=11となります

これ以降も西暦を単数化すれば
2020年は4数年であり、九星暦では「7赤・シチセキ」ですから
4+7=11 となり産霊・ムスビの数関係となります

2021年の場合は単数化すると5数年であり、暦では「6白・ロッパク」
ですから 5+6=11 やはり結びの数関係となっています

加えると11数となる関係は毎年のように続いていきます
「結び」の数であり、「産び」の数関係にあるといえます


西暦と寺社暦の数を
1から順に10まで自然数のままにあらわせば、

西暦の単数は毎年、
1数年、2数年、3数年、、、、と順流に流れ

寺社暦、九星暦などの暦では毎年、
1白年、9紫年、8白年、7赤年、、、、と逆流に流れていきますから

先ほどの西暦年数の単数化した数と、寺社暦の数との関係が観えてきます

1+10、2+9、3+8、4+7、5+6、
6+5、7+4、8+3、9+2、10+1、  

となりすべて11数となって、
産霊数と時間エネルギーの質関係が見えかくれしてきます

時間エネルギーを直接把握することは難しくとも
数を媒体としてとらえるとき、1から10までの数エネルギーを分別せずに
順逆に交流させ合することで、そこに動態エネルギーとしての「時間の働き」
を抽出することができてきます
それも西暦と寺社暦という暦日を表現している「モノ」からそのメカニズムが
現れているわけです

が、
だからといって時間というものが運命そのものかというと、そうでもない
動物も、魚類も、植物も、微生物も、おなじ時間に生まれている事実です
同じ時間に生まれているということは、生命の次元が同じであるわけです
同じ時間に生まれても、動物とは運命形態が異なるわけです
そこには質の違いがある、生命の次元、、、序列の差です

現在まで、「時間が運命の全て」であるというかたがたには、
この序列の差が解っていない


言語
人間が生きていくときに、時間の中にだけ生きているわけではありません
生後60日をすぎると、周りの情報を摑もうとする自我が芽生えると云います
ココロが起きるわけです

「心」は、物との対応、心との対応のなかに生れるわけです
ここにも対応する「心と心」「心とモノ」が介在するわけですから、
11数は、時間の中ばかりでなく、言葉の中にも存在するわけです

人には多弁な人もあれば、言葉少なの人もあります
共通していることは、口が開いていれば外なる言葉として現れ、
口を閉ざすときは心の中で内なる言語として現れている事実です

他者との対話、自問自答、意識のある限り、しゃべり続けているのが人間です
これは、閉そく性として在る、自閉症患者の場合にも云えることで、
内なる心はしゃべりつづけているわけです

また、

必ずしも、外なる言語と内なる言語が統一されているとも限りません
歯の浮くようなお世辞と裏腹な心を持った人もあるわけです
「11数の発生」が順流逆流に数をひねったところからおこる、
ヴァリエーションで、心の領域でも起こっているわけです

人間の場合、心はそのまま言語でもあり、創造性もここから生まれてくる
言語の無い心は認識もできないし、文字のない言語は記憶もままならない

このように、言語を持たない生活というものは、
稚拙な心を省いては、植物状態の患者さんや御病気療養中の
皆さんにかぎられてくるわけです
いずれは「その状態のかたたち」のなかからも、意識として言語を心の中から
引き出せる時代もおとずれることでしょう

このように、言語の中に在る11数の存在は表裏をひねってある存在であり、
存在学の原点に位するモノが言語であり、その源泉が心であり、11数です

心を無視した運命判断はありえませんし、
『時間のみに運命が動かされるんだ、、、』と、また、
『運ばれるんだ、、、』と、思っているから、宿命論が出てきます

言語を省いた運命というものは在りえません
時間と言語のかみ合うところから、心も芽生え、運命も動きだし、
運び運ばれてくる、、、、創造の歯車が動き出すわけです

バランスの変化の中に動態としてあらわれてくるモノ、、、、心であり言語です


物・モノ・者
11数は人間とモノにも働きます
その対象が人であれ、物であれ、モノであれです、、、
男女としての関係、日本人と外国人との関係の中にも、11数は働くわけです
これも、人間が漠然と複数存在していれば成るモノではなく、
「バランスの変化」のうえに存在し、交流し、言語を交え、時の交流のなかで、
11数としての社会を構成してくる、、、、結びであり、産びです

また、

物という限りは、対応するモノとのあいだにも、11数は働きます
家と居住者との関係にも、車両と運転者の関係にも、また
動物や故人の生前の愛用品などとも、対応は起こります
おおよそ存在するモノならば、あらゆるモノとのあいだに関係が成り立ちます
心にはモノに残留する性質があるのでしょう

引っ越してしばらくすると、住まいと住人の間にさまざまな問題が発生してくる
場合もあれば、中古車を安値で購入したとたんに、事故が連続することもある
引っ越し先では、『さまざまな次元』 との交流が起こってくる場合もある


ムスビ
ここまで、11数という数理についてお話ししてきました
今度は、具体的に11数の構造について話をしていきます

数も言語と一体のものです
自然数の1から10までの数を、順流に並べていきますと
合わせて55数となります


註)
易経の発祥は、「河図洛書・カトラクショ」が源泉であるとの言い伝えが、
今日、残って在りますが、それ以上の事は、現在まで何も解かれておりません
また、その易経では、自然数を天数25、地数30として分別しておりますが、
やはりその先は、何も問われておりませんし、何も答えられておりません



自然数を1から10まで順流に流してまいりますと
1・2・3・4・5・6・7・8・9・10 となり、
おなじく逆流に流してまいりますと、
10・9・8・7・6・5・4・3・2・1 となります
これを順逆をそのままに加えていきますと、

 順流  逆流

  1+10   =11  
  2+ 9   =11
  3+ 8   =11
  4+ 7   =11
  5+ 6   =11
  6+ 5   =11
  7+ 4   =11
  8+ 3   =11
  9+ 2   =11
 10+ 1   =11

そこに11数が現れます、数にバランスの変化をあたえたわけです
並列する二種の55数を、ひねったところに11数は現れてくるわけです
、、、あわせて 110数 と、なります
これが先ほどまでお話ししてきた数の構成です
一つの物事において、順としての見方と、逆としての見方があることを
表しております
二つあるのですから、ここに吉凶があらわれてきます

これを西暦と九星暦としますと、二つあるのだからどちらも「吉」であるとは
ならないわけです、どちらか一方は「凶」となり、
一年を通しても吉もあれば凶もあることを示しているし、よい年であっても、
誰でも彼でもが、よい年となるとは限らないことを、簡単明瞭に表している
ここに吉凶を産み出すムスビの数・11がしるされているわけです

これは、縦に著されておりますから、つぎに、横に著していきますと、
やはり順流1~10、逆流10~1で合わせますと、10個の11数が現れます

縦次元を「精神」とするならば、横次元は「物質」の世界をあらわしている
この縦と横の11数が噛み合わされてくるところに雛型的な運命と云うもの
が、現れてくる
万物に11数は働いているんだということを、よく認識してください


構造
今度は11数の構造について観ていきます
11数ということは、11個の玉が並んでいるところを
想像してください

○○○○○●○○○○○ 5個・5個の玉が、中心の1個をはさんで並んでおります
左側から順に、中心を巻き込んでの6個と5個ともいえます、また反対に
右側から順に、中心を巻き込んだ6個と5個ともいえます

これを、先ほどと同様に中心の1個を軸心に順流と逆流に抽出しますと
縦横にかみ合わされる5個ずつの玉にふりわけられた十字型が現れます

縦次元を心の領域としますと、横次元は物の領域となります
ここに「命」を中心とした物と心が噛み合った姿があらわれてきます


A)
















つぎに、人間は一人では生きられません
対応するモノがないと心は芽生えないし、言語も存在も認識できません
そこから、この十字型が下の図のように噛み合って八字型
に、広がりを見せるわけです


B)
















ここに「場」が現れます、場がありますから、「序」もあらわれます
場と序は同時に現れますが、一体と云うわけではありません、、、が、
場を離れた序もないし、
序をはぶいた場も存在しません

この八字型の水車によりエネルギーは回転しながら運ばれ
場をかえ、序を乱すことなく回転しながら螺旋をえがきながら、
上が下になったり、右になったり左になったりと、回転しながら
また元の場へと回流していきます、【人間万事塞翁が馬】となり
命が運び運ばれるわけです

吉凶が単純にあるのではありません
・時間だけでは破壊と創造しかおこりません
・心が起これば好き嫌いによる吉凶しか起こらない
・対応するモノの存在は欲望を産み出す吉凶があらわれるだけです

当然のことです
だからこそ、【命の運び】 など理解できない、、、、当然のことです



つぎに先ほどの
1個を中心として5個ずつの玉がついている十字型A)の図をみてください
この中心の1個とそれを取り囲む周りの4個だけを抽出しますと
図C)となります


C)



D)                          











そして、これはD)図ともなります
ここから、縦・横・奥行きとなる構造が観えてまいります
前後論におけるもの、、、「時間」があります
今という時を生きている命がそこの一点にあります
時間を中心に置くわけもなく、時間は常に未来に流れているものです

図D)は、【モノと心と時間の中心にある命の一点】 を抽出した
六面体であり八面体でもある、、、、
軸を外して球だけにすれば六角形も形成するものです

これが七曜紋であり、キリスト教神学の『6日と隠れた1日』の関係も
ここにあらわれてきます、また、
ピタゴラスの言った『数は3と4に分かれてくる』理もここにあるし、
ターレスの言った『水』を中心に据えた考え方と共通のものである
ことが理解できます

ここに信ずる信じないにかかわらず、神としての表現を取っている
宗教の源泉としての、【北斗信仰】があります

数万年前、
数千年前には既に先史時代の我が国でも理解されている【理】です
後世において『太陽神』をあがめていることは、人間である王が
神に近づきたい、神と同化したい、生まれ変わりたいという
想いからなるあらわれですから、だいぶ後世の時代のみかた考え方
、、、、4・5千年前の時代文明であることが理解されてきます














これから数霊を学ばれる場合、【11数】とは何かとの問答とおなじく、
【13数】とは何なのか、、、、という問答があらわれてきます

これは、七曜紋がなんであるのか、、、、その数霊が、霊数のなかを
回流していくうえで、六道輪廻とか輪廻転生にも通じる理があるわけです











以上、
http://www.japanesephilosophyculture.jp



あとがき
   しばらくぶりでしたが、その間にも、根気よく
   かずたまを繰り返し学ばれている方たちには理解できてくる   
   近年流通している、英会話教材に共通した学び方です
   おぼえようとすることよりも、日常において繰り返すことです
                           2019年1月2日