2025年6月22日日曜日

かずたま入門 14

 *当ブログは数霊占術「墾」の監修によるものです


時間を合わせるのに少し時間を要しました

今回は、5数理と6数理の関係性中心にお話します

本日は、2025年6月21日夜11時半となります

暦のうえでは夏至・ゲシとなります


数霊を問う場合、構造から向かいますと以外に入りやすいようです

幾何図形、数理変換、数理盤、などを織り込みながら進んでいきましょう

私たちが見つめている現象世界というのは、「縦・横・奥行き」の立方空間として、

簡略化すれば正六面体として認識できます

また、この空間世界を見つめているわたしたちは、【心】という内面から

見つめ認識しているのですから、正八面体として理解できるわけです


この段階で

平面認識の九星盤によって方位をとらえようとしている九星占いとは、

明らかに異なる次元であることがすでに理解できることと存じます、、、


正八面体をみつめると二方向に分かれる正四角錘二つに分けることができます

四角錘の各頂点は、それを覆う六面体の各面の中心と接しています

その意味合いから、4数理は調和、集合、社会交流、を示すばかりでなく

六面体を社会の枠組みとして観るなら、四角錘の頂角は社会交流の始まりとも、

つながりとも、捉えることができます


そこより、八面体は2方向に分裂もしやすいという話は、

前回4数理のところで話しました

今回はここから進みます

四角錘の頂点は六面体の各面の中心に交差しております

同じくこのふたつの四角錘をあわせた正八面体をみると、

その中心にも四角錘の4つの頂点からなる「面の中心点」があります

この4つの頂角とそこに交差して形成される面の中心となる1点をくわえると

4頂角+1中心点=5    この「5数」の構造から

中心、統括、管理、バランス、など5数理の意味合いが産まれてきます


このことは、時間をいただいて存在する現象界のすべてのモノについて、

4点の中心からなる1点という視点は、存在するモノにはすべてに4つの条件が

成り立つこと、と同時に、中心の1点において統括されているという

考え方にもつながります


話を戻します


4つの条件と中心の一点という見方は5数を問う場合、切り離せません

中心に向かう志向、中心、中核、管理、支配、統制、管制、統括する、支配する、

などさまざまな5数の意味合いがあらわれてきます


これをプラスとマイナスの「エネルギー交流」として見つめるならば、

1から9までの数の順流と逆流エネルギーから顕れる中心の5数です

   12346789

   98764321

順逆の9数理のはたらきのうえに成り立つ5数ですから

プラスとマイナスのエネルギーと考えてもよいし、

善悪の叡智やバランスの取れた9数の上に成り立つ5数理ですから、

バランス性の意味合いもあらわれます

そこより

中心にあって全体の兼ね合い、バランス、統括性の意味合いもある5数理です

このように順逆のバランスが取れている9数理の上に成り立つ数理ですから、

叡智のバランスにあふれる数理が本来の5数理といえます

また、

暴力性、威嚇、恐喝、恫喝、ごり押し、恐怖心、横領、、、、、

粗暴さが溢れる態度、物欲溢れる行動、周囲を威嚇し続ける様、

投機性に支配された心、支配欲に満ち溢れる日々を送ろうとするなど

マイナス性を併せ持つ数理でもあり、いずれの働きが現象を彩るのかは、

出来事を表す時間帯によります


その意味では、企業でも組織でも人物本人でも、

気性、行動や、動向に、

極端なところのあらわれる数理でもあります

話を変えます

統括するといえば、

いにしえより伝わる占法としてある九星、十二支、十干などにはいまだ、

相互の交流と統括ができない点があります

言語表現としてのもので、数量や序を現す数詞とは異なり、

互いに隣接する要件ではありますが交流を果たせないまま、

今日に至っております

そこから九星では十干がつかめないし、

十干では十二支が読みきれないないわけです


これを数に変換し見つめるならば、

9と10と12ですから、最小公倍数として捉えてみれば180数が

あらわれてきます、古事記にある大国主の御子神180神となります

日本書紀では181神ともなり、一神の差がつなぎとなってくる数を、

指し示す数形態のようです


こうしてみると、十干・十二支・九星などの四千年を経過する占法より

遙か昔から原理を理解している文化・文明が存在し、四千年前より後代となる

記紀神話の編纂される時代まで正しく伝承されている国も存在している

ことにもなります

また

これが永い歴史の中から抜かれてしまった、抜け落ちてしまった国もある

それこそが遡ること四千年の昔であることも理解できますし、

そこに歴史の逆転がおきていることが判ります


視点を変えます

古代中国では、「時間」を把握するにあたり、十干・ジッカンをもって

時間を捉えようとしております、、、、これを天干として表現しています

また、「場」の認識にあたっては、地の理としての十二支・ジュウニシで

とらえようとしています

さらに、「言語社会」に成る人間界ですから、数詞をふくむ九星は人理として、

人干ともいえるものです


ここに、天・地・人のふるいわけがありますが、

先ほどの話のように相互間の交流はありません

永い経緯をへて、それぞれのつながりを復元できなくなるところまで、

枝分かれしています

そして今日、おのおの単独で読みならわしているわけです


万物を統括する、管理するならば、「時間」により統括する以外ないわけです

それを担うべくあるのが十干なのですが、、、、、今日、

十二支とも九星とも繋がりがわからなくなっている

言語を使用した文字表現だけに、纏め上げることで数量解釈が欠落している

序列はあるのに数量認識ができない、、、、、という、

文字言語の迷路に陥っているようです

立方体を読むにあたり数霊数理盤を使用しますが

立方体表現は、古来より世界に広くあるものです

仏教や密教などでも立体であることを表現する手立てとして

曼荼羅に胎蔵界や金剛界をえがきだしています

これは、視る角度により姿が変わることを現しているようです


数霊の場合も呼吸し、心拍を打ち続ける姿かたちを表現してもおります

このことから「竪亀甲」と「横亀甲」を重ね合わせる形態で表現しています

これが一体なる姿で表され、静止している姿ではなく、動的な姿として

表現しようとしている


(詳しくは、当ブログを遡りください)

「数霊には十干の存在がない」との意見が出てきますが、

十干の原理は「十干論」を紐解かなくても数霊数理盤のなかに

十干・十二支・九星は包含されております


十干は、もともと時間を読むための序数としてのものです

序数の概念であったものを、

言語に置き換えたので理解しずらくなっているわけです


十干は、「十干という言葉」に働きが垣間見られます

10の序数より構成される姿が十干ですから、数詞に置き換え、

これを順流エネルギーと逆流エネルギーに交流させます

   甲・乙・丙・丁・戊・巳・庚・辛・壬・癸         

   1・2・3・4・5・6・7・8・9・10

順逆に向かわせてみますと、

   10・9・8・7・・4・3・2・1

   1・ 2・3・4・・7・8・9・10  となります

     

この交流で、十干の働きのエキスがどこに煮詰まってくるのかというと

中心にある

6数・5数 と

5数・6数 のところとなります

そこに十干としての働きが投影してくるわけです


2025年の生まれの場合ならば、

どこに5数があるのかを観なければなりません

   8 4 6

   7 9 2

   3  1

北となる場所に十干のはたらきとしての5数があることになります

これが十干の中核をなしているわけです


先ほどお話しした幾何図形の話にもどります

六面体の各一面の中心に接している、八面体の頂角は6つあります

縦・横・奥行きの条件です、そこに、中心の1点をくわえると

6頂角+1中心点=7 となり

7数理となります

また

八面体をふたつの四角錘としてみると

前・後・左・右の4つの条件となり、中心点となる吾の一点とあわせて

初めにお話しした内容に戻るわけです、、、、、5数理があらわれます

時間をあらわす、前・後・左・右・吾の条件ともなります 


「5数」は四角錘の4頂角と吾の1点をあわせた八面体の中心に形成されます

「時間」としてみれば吾を中心とした、まえ、うしろ、みぎ・ひだりの条件です

そこより「5数は時間」を指し示すものとして認識されてくることにもなる


人間の認識では「われ」より観た4つ頂角より四つの条件に分類できます

また「吾の一点」は、昼夜・陰陽・白黒・正反・善悪として一体であり、

一日として一体です


つぎに

前・後・左・右の条件に

天より出て地に根差すところの上・下の条件をくわえると

前・後・左・右・上・下の世界で「空間世界・6数理」をさしています


1 ・2・3・4・5・・7・8・9・10・11

11・10・9・8・7・・5・4・3・2 ・1


この6数を生成する順流・逆流の11数エネルギーは、

単数とすれば2数でもあり宇宙空間をあらわしています


この5数と6数が一体と成り、動態となり、回転してくる姿が、

十干の表そうとする「10」の順逆エネルギーであり

 中心を形作る 6・5 であり 5・6 でもあるわけです


この姿を把握しようとしたのが、

十干論としての本来のモノなのですが掴みきれていません

数を置き去りに文字言語とした時点で自縛しています


5数を時間とみるならば、相対するモノがなければ時は流れません

6数と相対することで時間は流れ始めるわけです

5数は動体とならないと回転できません

6数は回転することであり5数の動態する姿です

回転できない5数は腐れ現象を産み出します

澄んだ水は流れがないと腐れます

止まっている自転車は倒れるのを待つのみです


人の心として観るならば、

5数の破壊性は、中心であろうとすることで、身動きできなくなります

自縛された5数は逆転した姿でもある6数の破局性となり、

支配欲・競争心・妬み・争い・権力志向・覇権欲に向かう姿、固執する姿となる


5数は動ごいてこその5数であり、

己を振り返る時間などない姿、こそ本来の5数となり、

渦を巻き始めた5数は回転する姿として6数にかわりはじめる

動き回る5数、我を忘れて奔走する5数は、中心となることにより「渦」を興す

あらゆるものを巻き込む大きな渦となり、自然、そこに、念力を産みだして来ます


以上、  ~前編    2025・6・26記



あとがき

父母の結晶として産まれたあなたは

どこが父親の遺伝子で、どこが母親の遺伝子でなのでしょう

1+1=1であり、1+1=2でもあり10・1でもある

今、でもある世界に入り込もうとしています